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僕がようやく自動車免許証を取れるような年齢になった頃、まず憧れたのがS30型フェアレディZだったと思う。
僕の周りには数々の魅力的な車が溢れていたけれど、フェアレディZは異彩を放っていた。セリカLB2000GT、サバンナRX-3GT、スカイラインGT-R・・・。数え上げればキリがないほど、当時の日本には個性豊かなモデルがラインナップしていたのだ。特に走り自慢のスポーツカーが強烈な存在感を放っており、クルマ好きに目覚めた青年だった僕のハートを刺激した。その中でもフェアレディZは、一際輝かしいオーラを発散していたのである。
その理由の一つは、240ZGがフロントに備えるロングノーズと、その逸話だったと自覚していた。
S30型フェアレディZには、2リッターモデルを基準に、さらに排気量を2.4リッターまで増した240Zが存在していた。そのどちらも、はっきりと格子のフロントグリルが見えた。その中に特殊なマシンがあった。それは240ZGと命名され、ボンネットから途切れることなく前端まで伸びるロングノーズ仕様を特徴としていたのだ。60mmワイドになるFRP製のオーバーフェンダーも装備されていた。
ロングノーズはL24型直列6気筒2.4リッターエンジンを搭載する240ZGだけの特権だった。標準モデルはL20型2リッターの直列6気筒を搭載。明らかな格上感を醸し出していたのである。
240ZG投入前にはすでにスカイラインGT-Rと同じS20がたユニットを積むフェアレディZ432が存在しており、それに対して10psダウンに留まったが、排気量が豊かなことから逆トルクでは上回っていた。
最高出力は150ps/5600rpmであり、最大トルクは21.0kg-m/4800rpmである。
ロングノーズは、空力的に有利なことから、確か最高速度を10km/hほどを延ばす効果があると謳われていたように記憶している。デザイン的な魅力だけでなく、実際に数値的な効果があることにさえも僕は引き寄せられたのだ。
そもそも、240ZGはアメリカマーケットを中心に販売されていたように思う。それが、アメリカへの憧れを持つ青年には誇らしかった。日本のスポーツカーが、コルベットやカマロがウヨウヨしているマッチョな国で人気だという。世界で戦える唯一のスポーツカーが、僕の中ではフェアレディ240ZGだったのである。
<ニスモフェスティバル フェアレディ240ZG / 1971 富士GC第4戦 富士インター200マイル>
それ以来僕は、トリコロールカラーに塗られたレース仕様の240ZGに惚れ込んでいく。ニスモフェスティバルで華やかな勇姿を披露したレース仕様は、現役当時バリバリの状態で、かつて疾走したであろう富士スピードウエイのストレートを駆け抜けたのである。ステアリングを握ったのは「Zの柳田」の異名をとる柳田春人さんだった。
<1970全日本富士1000kmレース GTS2: #31 ダットサンスポーツ240Z/ 高橋国光・黒沢元治>
S30型フェアレディ240ZGのレースデビューは、日産ワークスが送り込んだ「富士1000km」だったという。デビューウイン、多くのファンを魅了した。
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個性豊かで魅力的な車が溢れる中、自動車免許証を取れる年齢になった頃、フェアレディZに憧れた:木下隆之 originally appeared on Autoblog Japan on Thu, 04 May 2017 03:00:00 EDT. Please see our terms for use of feeds.
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